のろやま

身の回りの小さな発見と驚きを見つける旅に出かけたい

春遊山「不思議な里山」

身近な自然をさらに身近に感じたかったこと。
小さな自然の変化に敏感になりたかったこと。
そして、このすばらしい小さな裏山の自然を知ってもらいたかったこと。
 鏡川にて
そんな思いを綴り始めた「のろやま」
その名前は、私の故郷の瀬戸内海の小さな町の背後にそびえる、おおらかな「野呂山(のろさん)」から頂きました。
 呉の野呂山
高山の洗練された雄大な自然も素敵ですが、私の原点はあくまで、庶民の里山かな。
人と深い関わりを持ってきた里山は、人とのつながりによって様々に変化を続けている。
そんな日々の小さな変化を求めて、最近人気という、土佐の「家から遊山」をお願いしました。

■筆山
ゆるゆると流れる鏡川をのんびり歩き
たわいのない話をしながら、天満宮の門をくぐると薄暗い照葉樹の森が広がります。

ここは、歴代の当主が眠る場所。
今は、市内を見渡す憩いの場。
こっちがお城で、tochikoさんが働いているのはあの当たり。

■皿が峰
お殿様の眠る山とは反対側に位置するのが、庶民の墓所の山。私の故郷でも、狭い平地を避け、見晴らしのよい山の丘に墓地が立ち並びますが、ここでは、ひと山全体が墓地となっている不思議な場所。

しかも無縁仏となっているであろう墓所があちこちに草に埋もれている。

自然に!?
いや、山菜の芽生えを促進するため!?
定期的に燃えていた(火を付けていた人がいた!?)ため、独特の景観を持つ。

看板に「火をつけまい。。。」とあるが、それも南国土佐ならではの気質・文化。
奈良の若草山のように定期的に山焼きをしてもいいんじゃないのかな?とふと思う。

「嘆きの森」は、空襲でなくなられた無縁仏が埋葬された場所という。

墓所でありながら、市民の憩いの場。
不思議な不思議な里山です。