宇高連絡船が廃止された昭和63年(1988年)の別子銅山
時間のトンネルをくぐると、採り尽くされ打ち捨てられた残骸が広がる町が広がっていた。
人々は銅を求めて、地下へ深くへと潜っていき、閉山までの280年間に70万トンという途方も無い量の銅を産出してきたという。
その日本屈指の銅山も昭和48年(1973年)にその扉を閉じた。
40年の時を経て、打ち捨てられた小屋は、徐々に自然に飲み込まれ始めている。
少しづつ少しづつ。
黒子衆たちにも深く関わっているというこの、この山域。
当時はまだ道も狭く、つづら折れの道が続いていました。
今度は、そんな昔話をゆっくりと聞かせて欲しいと思っています。