裏山の向こう側の里に、竹で栄えた村がある。
その村は、日本で流通する茶筅のほとんどを産している里。
一子相伝で、綿々と茶筅(ちゃせん)作りが受け継がれてきた里。
京都と大阪、奈良を結ぶ古道沿いにその里は位置する。
室町の昔、鷹山村(たかやま村)の城主の次男、宗切(そうせつ)が
村の住職でもあり、連歌、和歌、書道の達人、村田珠光(じゅこう)に
依頼され、作り上げたのが始まりとされる。
■竹
竹は、西アジアにしか分布しないらしい。
この国の文化には竹が重要な存在となっているのではないでしょうか。
この植物は、草のようでありながら、木のように数十年単位で生きる
不思議な植物。
一生に一度、花を咲かし、一斉に枯れてしまう。
こんなにも身近な植物なのに、その生態には未知の部分が多い。
大寒の頃、里では、切り出した竹を寒風にさらし、油分を抜き取るために、
円錐状に並べる風景が見られる。
幾何学模様が美しい。
さらに数年寝かせて、材とする。
■日本人と茶
今や、お互いに切っても切れない繋がりを持ってしまっていると
思います。
かしこまったお茶をやったことなどはないけれど、
少しのあこがれと、その雰囲気を垣間見るだけで、
なぜかほっとし、心が落ち着く気がする。
お茶には不思議な力が宿っていて、
ときに、魔力のような力で心を絡め取ったりしたりするのかも
しれません。