4年前(2018年)の豪雨災害で崩落した船津神社への参道は復旧されて、訪れる人を待ち構えていた。
おめでとうございます。
今年は正面からお参りできますね。
2022年元旦の野山歩きは、かつて船着き場であったであろう、船津神社の参道から歩き始めることにした。
残念ながら今年も、楽しい祭囃子は響かなかったとのこと。
外に出るまで特別だと思っていなかったが、藪という鬼が練り歩き、
各地区ごとから繰り出す太鼓と笛が吹き荒れる、地方独特の祭りは思い出深い。
楽しかったな。
混雑している参道を横を通り抜けると、吉松山への入り口がある。
木の上に鳶の羽根が風に揺れていた。
おや、羽音に目を向けるとアオバトが姿を見せた。
泣き声は聞いたことがあるが、姿を見るのは初見の鳥です。
今年は幸先がいいな。
標高300mにも満たない、裏山なのでほどなく山頂につくと砲台跡がある。
眼下に広がる広の町には、かつて広工廠があり、空襲の際にはこの山の上から砲撃を行っていたといい、私の実家の壁も砲弾の破片で壊れたことがあると小さなころに聞いた。
呉のあちこちにこのような戦災遺跡がまだ数多く残っているが、次第に朽ち果て行こうとしている。
それも仕方がないことなのか、もう少し整備をして後世に残すのも有意義じゃないかと最近思うようになってきた。
山頂を越え尾根伝いに北に行くことにした。
急な尾根を下り、細い山道に出た。
この道を下ると、善通寺かな。
かすかに残る記憶を頼りに、昔借りていた山間の畑を訪ねてみることにしよう。
冬枯れの植物を楽しみながら、打ち捨てられた畑を通り過ぎていく。
小学生低学年の頃の記憶は定かでなく、どの畑だったのかは思い出せない。
また今度聞いてみることにしよう。
下の方まで下りてくると、一部まだ使われている田があった。
やっぱり人の手が入らないと里山は荒れてしまう。
里山は人と繋がってこそだと実感する。
5年後、10年後この谷はどんな谷になっているのか、
そんなことを感じた、新年の山歩き。