ふと目についた山側の崖の小さな道に分け入ると、
そこには崖を穿った岩棚が作られ、首のなくなっている仏さまが鎮座していた。
鎌倉の東側の山域には「やぐら」と呼ばれる、中世の墳墓が数多く残されている。
ガサゴソ、崖の下から音がする。
目をやると、急な斜面を気をつかみながら登ってくる人がいる。
この付近を歩いて、地図を作っているんです。
この上にも、やぐらが結構あるんですよ。
土地が狭く、墓所は山へ山へと上がっていったのであろう。
鎌倉のころ、余は乱れ人は何か信じるものを求めていた。
傀儡師が旅し、仏教が渦巻く時代に思いをはせる。
墓所の下の谷には、寺があり、空に向かって祈りが舞い上がる。
この道の流れるの左に行けばもしかして
ふっとその時に行ってしまうのではなかろうか。
町中の喧騒を離れた鎌倉を囲む山はそんな空気を纏っていた。
おや、こんな所にも、小さな命が宿っている。
人の思いとは関係なく生き物たちはたくましく生きている。
今も、世界のあちこちで争いは絶えずより混沌としてきている。
救いのはずの宗教が争いの種になっている。
土地を求め、利害を求め、欲望のままに
人は争いを続けている。
1000年の昔と同じことを繰り返している。
人は変わらないのか。
やぐらの前で、手を合わせ、そんなことを考えた。
もう一度、空を見上げる。
ゆっくりと、海の向こうに日が沈んでいく。
日の沈む向こうでは、日が昇る。
新しい一日は、悲しみや恐れではなく
喜びの一日が始まるように願います。