里に入るカーブを曲がると辺りが急に明るくなった。
桜だ。
霜が降り、初雪の便りがあちこちから聞こえ始める季節に桜が咲いている。
時計の針が早まったのか、とても不思議な空間が桜の周りに漂っており
その気配を感じるのか、谷にコジュケイの鳴き声がこだました。
■四季桜の事
家々の敷地には桜が植えられポッ、ポッと花の灯が灯ったよう。
村内の四季桜は1万本を数えるといい、温暖な三河の地にあって比較的標高が高く沿岸部から離れた地域に広がる小原村の人々が、冬の間の楽しみとして大切に育てていることが感じられます。
小原村の四季桜は、春と秋の年2階花開くといい、秋は10~12月にかけて花開き紅葉と相まって、その風情は言葉には言い表せない光景だった。
季節と光が混ざりあい、溶け合っていき、
風が吹けば淡い花びらと、木の葉が舞い上がり谷に空に舞う。
一人の漢方医が患者の心を思って植え、人から人に心がつながり村中に広がっのか。
その想いは今となっては想像するしかない。
でもその想いはつながれ、今、私の目の前には儚さを感じさせる心打つ光景が広がっている。
ありがとうございます。
【ちょっとしたメモ】文政1818-1830
■「前洞のシキザクラ」の看板
小原のシキザクラは、完成から文政年間(1789~1830年)ころに、北村(現在の小原北町)藤本玄碩(げんせき)という漢方医者により、名古屋方面から委嘱されたものが親機となり、広まったと伝えられている。
前洞のシキザクラは、その小桜から分かれた孫桜が、明治39年(1906年)ごろに移植されたもので、樹齢は100年以上と推定されるとある。
■四季桜発祥の碑近くの看板
明治の初め(1765)藤本佐野右衛門の次男玄碩は、名古屋で医学を修め郷里で開業した。60歳の頃、たまたま患者から尾張東部の山間の寺に晩秋に花をつける桜のあることを聞き、その子生えをもらい受け、家の近くに植えたという。
これが小原のシキザクラのルールである。
■豊田市のHP
1820年頃、現小原北町の藤本玄碩(ふじもと げんせき)という医師が、名古屋方面から苗を求めて、小原地区に植えたものが親木となって広まったと伝えられています。
■シキザクラ
マメザクラとエドヒガンの種間雑種と考えられる。
花は一重の白又は淡紅色で、夏の間に充実した花芽が秋から冬にかけて順次咲き
小さい花芽は冬を越して3月中旬頃から咲き始める。
このため、春より秋の方がよく花を咲かせるという。